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いとしきみへ

 
 ここのところ、閣議はもっぱらひとつの話題で占められていた。
 そもそもの発端は、歳費の縮小の一環として古参の公爵が徴兵制の廃止、ひいては軍の縮小を提言したことによる。帝国なき現在に軍隊が必要かどうか、再び世界征服を目論む勢力となりえるのではないか、との意見はまるで水面に投げ入れられた小石のごとく、瞬く間に閣議に出席する貴族たちの間へと波紋を広げていった。
 この公爵は先代の王の時分に任命されて以来をフィガロのために尽力しており、貴族の中でも一、二を争うほど先代に傾倒している人物であった。そのためか今の若き王に対してはいろいろと思うこともあるようで、行き過ぎた発言を周囲が窘めることも度々目撃されていた。そんな公爵に端を発した意見であったため、若き王が大事にする軍を縮小し、力を削ごうとしたのではあるまいかとの見方もないわけではなかった。
 もちろん全てが軍縮に賛成するわけもなく、賛成派と反対派によってここ数日の閣議は紛糾する有り様であった。当の王はというと地方の小反乱の遠征に出かけており、閣議を導く道筋も立たないままの日々が続いていた。
 王の帰りをあと数日に控え、貴族たちの間では王の帰城を待って一連の議論の決着をつけようとする意見が多数を占めていた。

「やはり、軍はフィガロにとって負担となっても益とはならん」
 度々繰り返された議題が再び持ち出されようとし、セリスは眉をしかめた。その表情に気付いたのか、公爵が片眉を持ち上げる。
「おや、貴殿は不服かね。やはり帝国の元将軍は、軍閥を作ろうとされているのか」
 明らかに嘲笑の混じったその声に、セリスは首を振る。
「いいえ、そんなことは。しかしながら、公爵のように軍縮を推進される方が増えるとゆくゆくは軍を廃止しろとの意見が出てくるのではないでしょうか」
 実際、まだ数は少なかったがそんな意見も耳にしていた。
「先の戦いのようなことが起こりえるかどうかは別にして、軍を持たないという愚策は国力の低下を招くかと」
 セリスの発言に、会議室の中に苦笑が広がった。顔ぶれをみると、大体が公爵へ肩入れしている面々ばかり、これもいつものことだった。
「やはり元将軍は軍がないとお寂しいようだ。そのうち再び帝国の再建をと考えておられるのではないか」
 取り巻きとそんなことを口にする公爵を視界の端で捉えて、セリスは書類で机を叩いて立ちあがる。
「本日の議題はすでに終了しました。失礼します」
 言い捨てて退室する。それをきっかけにしたかのようにその日の閣議は解散となった。

「──狸爺が」
「おや、レディがそんな汚い言葉を使うものじゃないよ」
 突然背後から振った声に驚き、セリスは背筋を凍らせる。振りかえるとこの城の主が笑みを湛えていた。
「びっくりした、いつ帰ってきたの?あなたがいないせいで今大変よ」
「聞いた。だから忍びで帰ってきたんだ。正式な凱旋は明日になるかな」
 まるで人ごとのような言い方にセリスは苦笑する。ということは、エドガーが今ここにいることを誰にも知られず送りださねばならないということだ。
「王様も大変ね。まあ入って」
 フィガロの問題は一見ないかのように見えて深い。それでこういったことがこれまでに何度かあった。何回目かを経た後、突然セリスの部屋が離れの塔の1階へと移された。表向きは執務に集中するためという理由づけだったが、その理由の裏側にこういった事情が隠されていた。エドガーが不在の間に問題が起これば、それをどこからか聞きつけて正式な帰城の前に事情を探りにき、セリスが説明して送り出して何事もなかったかのように凱旋するというわけだった。
 執務室の奥の自室へとエドガーを通し、セリスは椅子へ腰掛ける。エドガーも同じように腰掛けた。周囲に人はいないとはいえ、自然と声が小声になった。
「徴兵制を廃止して、軍を縮小すべきだという意見が出ているの。もちろん私を含めて反対派もいるのだけど、言いだしっぺがあの狸なおかげで、閣議はごちゃごちゃよ」
「レディはもう少し言葉を選ぶべきだよ。──まあいい、軍縮か」
 考え込むかのようにエドガーは顎へ手をやった。セリスは首を傾げる。
「あら、してもいいと考えてるの?」
 エドガーは苦笑して手を振る。
「そういうわけではないが……それを抑える理由が難しいな。確かに一理ある」
「あなたも、公爵も、莫迦じゃないの?軍は国力の要となるものじゃない。軍の存在意義は兵力だけじゃないと少し広げて考えれば軍縮だなんて莫迦みたいな意見が出るはずがないのよ」
 セリスの発言に、エドガーは不審げな表情を浮かべる。それを見てセリスは指を組んだ。
「帝国のころから考えていたの。若い男性を徴兵して、軍人として育てて使い捨てにしてまた新しい人を集めてきて……なんて無駄なことを繰り返しているのかしらって。あの時は戦争ばかりしていたから仕方ないけれど、いつか平和な世界が訪れたらこんな無駄なことしていたらいけないってね。どうせ平和になったら兵隊の使い道なんてないんだから、例えば訓練がてら荒れ地を開墾して人が住める土地を広げたり、河川が氾濫しないように堤防を作ったり。それで一通り覚えて満期が来たら、その人は故郷へ帰って覚えたことを活かせばいいのよ。そのうち男性はみんなある程度のことができるようになって国力の増強にもつながるわ。それに軍のない国など、自ら軽んじてくれと宣言しているようなものだし」
 ずっと考えていたこと。帝国では実現しようもないと思っていたが、まさか提案できるような日がくるとはセリス自身も考えてはいなかった。エドガーの反応をうかがおうと下から顔を覗き込むと、半分口をあけて呆気にとられた表情をしている彼と視線が合った。その間抜けな表情に、どちらともなく噴き出してしばらく笑いあう。
 目尻ににじんだ涙をぬぐいながら、エドガーが言う。
「驚いたよ。まさか帝国の常勝将軍がそんなことを考えていただなんてね。しかしそれはいい。その案を使わせていただいてもいいだろうか」
 セリスは頷く。
「もちろん構いません。まさか私もこの考えが採用される日が来るとは思ってもみなかったわ。ありがとう」
「礼を言うのは私のほうだ。いやしかし、やはりこういった知的というか政策的な会話ができる女性というのはなんとも魅力的に映るものだね。実に楽しい。美しく着飾るだけが取り柄の貴婦人方とは違う」
「これでもいろいろと詰め込まれてきたから。それでもそうやって思う男性は少ないのじゃないかしら」
 現に、表立ってこそではないが、セリスについて女のくせに小賢しいことを言う、と嘲る声があることは耳にしている。仲間たちと過ごしていたときには考えることもなかったが、やはりこういった封建的な世界に入ると政治は男のものといった風習が色濃く残っていた。
 苦い笑みを浮かべるセリスに、エドガーはひとつ溜息を吐く。
「情けない話だが、事実だろうね。まあ、そういった古い風習はおいおい掃除していかねばなるまいよ。それにしてもこの才女を野に放つのはとても惜しい。──少しでも長く手元にいていただきたいものだ。セリスさえよければ、私の隣の席を用意するが」
 予想外の言葉にセリスはエドガーの顔を見る。普段の軽言を言う表情とはまた違って、笑みの後ろに真剣な表情が隠れているように見えなくもない。しかしセリスは首を振った。
「そんなことを軽々しく言うものじゃないわ。エドガーが真剣に私のことを愛してくれるというのなら話はまた別なのだろうけど、あなたにはもう大事な人がいるじゃない。他の女性を気にする人の隣には座れないわ。それに、結局のところあなたはこの国が一番なんだから、可能な場面がくればきっと私の存在を利用することに躊躇しないはずだわ。元帝国将軍だった私をね」
 きっと笑って私を切り捨てるに違いないわ、と笑うセリスを見てエドガーは内心で吐息をついていた。これは、予想以上に手強い。まさかここまで内心を読まれているとは。妃に、と思う気持ちも確かにある。ただその裏に使いやすい存在という下心があることも認めなければなるまい。まだ若く、美貌の才女。これほど玉座に座らせて映える女性はなかなかいない。それに加えて帝国の元将軍という肩書まで備えるセリスに対抗できるものはいないだろう。
 手放すのが惜しい。これだけはなんの下心もなくそう思える。だからエドガーはそうセリスに伝えた。
 するとセリスは晴れやかに笑う。
「ありがとうございます。彼が帰ってくるまでは、この場所にとどまるつもりだから、存分に利用してくれて構わないわ。実は私もこんな会話ができるのが楽しくて仕方ないの」
 くすくすと笑いあい、そうして夜は更けた。
 完全に夜明けを迎える前にエドガーは去り、城まで戻りつつある軍列に戻って行った。
 明日になれば何事もなかったような表情で帰城するのだろう。
 セリスはそれを考えて笑む。明日の閣議がいったいどうなるのか、楽しみだ。
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壁の向こうに

 帝国の元将軍を、国の重鎮に据える。
 かつて敵としてこちら側の誰もが忌み嫌っていたに違いないその人物を徴用しようとは、誰が考えつくだろうか。姿を変える前の世界を知る国民であればとても選びようがないその選択を採ったのは、他でもないフィガロの若き国王だった。
「──他に英雄はいくらでもいるではないですか。再考すべきです」
 大臣の進言に、エドガーはにべなく首を振る。
「お前はいつから国王になった。私は王座から降りた覚えはないぞ」
 考えてもみろ、と窓の外を見ながらエドガーは続ける。四角く切り取られた向こうでは、日が砂漠に溶け落ちようとしている。灼熱の時間が終わろうとしていた。
「かつて世界を二分していた勢力が手を組み、復興へ向かうといういいプロパガンダになるではないか。家臣の一とすることで、なおかつフィガロが帝国を飲み込んだという意味合いにもなる。その意味で彼女以上の適役はないぞ。誰が反対しようと変更するつもりはない」
 それに、今さら彼女が帝国の生き残りとして活動するはずもない。長い戦いを共に乗り越えたエドガーはその点についてゆるぎない自信を持っていたが、あくまでも部外者にすぎない家臣たちにはそうは思えないようだった。
 それに彼女には行く先も帰る先もないのだ。どうせあの男と一緒に泥棒稼業をするしかないというならば、彼女にとっては才能の無駄遣いという他ない。ただでさえ統治するべき地が増えた今、少しでも有能な人物は手元に留めておきたかった。
「国土の復興を国民は待ってはくれんぞ。無駄口を叩いている暇があったら他にすることがあるだろう」
 実際、毎日毎日待ったなしで国民からの要請が上がってくる日々が続いていた。勢いがあるのはいい傾向だが、それをこなしていく官の手はいくらあっても足りないのが現状だった。時にはエドガー自身が出向くこともあるほどで、忙殺されるという言葉がこれほど身に染みたことはない。同じような環境に彼女を置くことによって、少しでも彼女を物憂いの海から掬い上げたいという考えを無意識のうちにどこかで抱いていることをエドガーは認めざるを得なかった。


 あの男は長い戦いが終わって落ち着く間もなく、また世界を飛び回る生活を選択したようだった。
 ──あの莫迦が。
 エドガーは廊下を歩きながら独りごちる。
 彼女の前から姿を消す前夜、ロックは独りエドガーを訪ねてきたのだった。
「なあ親友、セリスを頼むよ」
 訪れるなりそんなことを言い出し、反応のしようもなかったことを覚えている。
「一緒になりたくないわけじゃないんだけど、とりあえずしばらくは預かってくれないかな」
「お前はどうするつもりなんだ」
 エドガーの問いに、ロックは手にしていた酒壜をあおる。まるで酒精の力を借りないと口にすることができないとでもいうような飲み方だった。
「とりあえずしばらく一人で世界を回ってみるよ。空を飛び回ってるだけじゃなくて自分で歩いてみないと」
「そうじゃないだろう。私がセリスを妃にしてもお前はそれでいいのか」
「セリスがさあ、それでもいいってんならいいんじゃないの」
 それまでにないような投げやりな言い様に、エドガーは眉をしかめる。
 なぜいつもこいつらはふたりで解決しないのか。なぜいつも私を巻き込む。
「一応聞いてみたんだよ、一緒に来る?って。そしたらさ、わからないだって」
「帝国がなくなってしまって、親代わりのシドも死んで、ティナみたいに帰るところがあるわけでもなくて、自分がなにをしたらいいのかわからないんだってさ」
「俺も結構勇気出して聞いてみたんだよ。その答えがわからないなんて言われてそれ以上どうこう言えなくてさあ」
 自分でも気付かないうちにエドガーは深い溜息をついていた。勝手にしてろ、と油断したら口にしてしまいそうだったがなんとか堪える。
「ならばお前は気が済むまで放浪していろ。セリスはフィガロで預かる」
「ほんと?なら安心できる」
 そうじゃないだろう!と怒鳴りたくなったがこれも堪える。1週間分以上の我慢をすでにしてしまった気分だった。
 ロックは再度酒壜をあおり、力なく立ち上がった。
「じゃあ、くれぐれもよろしく頼むよ」
 そう言って部屋を出て行った翌日、すでにフィガロにロックの姿はなかった。
 言うまでもなくセリスの落胆はひどく、涙を見せまいと気丈にふるまうセリスを見て、エドガーは今回の採択を思いついたのだった。
 思い出したように書簡が届く以外にロックの消息をつかむ手段はなく、気がつけば半年が過ぎようとしている。


 各地で揉めごとが起こる回数がようやく減り始め、エドガーやセリスが鎮圧に向かう回数もそれに伴って減少した。すると今度は増えるのが事務作業である。
 賊の鎮圧にセリスの力が存分に発揮されたのはもちろん、机上の仕事においてもセリスの能力は予想以上のものがあった。すでにセリスの存在に意義を唱えるものはなく、それどころかフィガロの城内において日に日に人望が高まってきていた。
「──あらセリスさま、眼鏡を作られたんですね」
 書類との睨みあいが増えてからというもの、セリスの視力は下降の一途だった。かつての実験が影響を及ぼしているのかもしれないが、今となってはどうしようもない。医者に相談すると眼鏡の使用を薦められたので、仕事時間中は忠告に従うようにしていた。
「あ、ああ。どうしても細かい字が見にくくて。それにしてもさま、はいらないと何度いったらわかってもらえる」
 苦笑混じりにセリスが侍女に問う。侍女は手にしていた盆で口元を隠しながら、くすくすと笑った。
「そんな恐れ多いこと、誰ができますか。眼鏡姿のセリスさまもりりしいと、最近城内で噂が持ちきりですよ。私も拝見できて幸運です」
 一礼して侍女が退室し、あとには湯気を立てる珈琲とセリスと山のような書類が残された。
 エドガーが口に出すことはないが、仕事が山ほどセリスの元にくるのもなにかの配慮があってのことだろう。セリスも直接エドガーに確かめることはしていないが、彼が姿を消してからというもの彼のことを話題に上げないことがすべての答えのような気がしていた。
 確かに、仕事に追われることで余計なことを考える暇はない。それでもふとしたはずみに考えてしまう──今のように。
 伸びをして椅子から立ち上がり、セリスは窓辺に近寄る。すでに太陽は姿を隠して月が夜空に浮かぶ時間だった。窓をあけると入り込む風が心地いい。夜空の月は切り落とした爪のような形をしていた。
 しばらく夜空を見上げていると、開け放した窓の外からふわふわと風に揺らぐセリスの髪を触る手があった。
 ──ああ、ついに私は彼の手を幻で見るようになってしまった。
 わからない、と答えて以来何度その答えを後悔したことだろう。悔やんでも仕方ないとわかっていながら涙を流した回数は数知れない。またその回数を増やしてしまった。
「泣くなってば」
 ついに声まで。幻の手は優しく頬を伝う涙を拭う。
「──ロック?」
 幻なんかではなかった。あの日姿を消した彼が、今窓の外にいる。エドガーがセリスの執務室を塔の1階に用意してくれたことを今日ほど感謝することもないだろう。
 セリスの問いに、ロックははにかんだように笑う。
「ただいま」
 ああ。彼が帰ってきた。
 無意識のうちに笑みが広がっていた。涙を流しながらセリスは恋人に微笑みかける。
「おかえりなさい」



 
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つつむ 隠す 踏みにじる

 
 新設された魔導研究所の奥に、個人的な空間を用意した。ドームにつつまれた、私専用の庭園を。もともと庭いじりを趣味とする性格でもないのだが、ふと土を触りたい気分になってのことだった。
 普段人外のものにどっぷりと浸かりきっているその反動だったのかもしれない。
 野菜を植えても食べられないので、ひとまずは花を植えようと思っていた。
 かつての旧魔導研究所への道を塞ごうと無意識に考えていたわけでもないのだが、外気から守るためのドームを庭園にかぶせてしまうと自然と塞ぐような構造になってしまっていた。
 今まで庭いじりをしたこともなかったのだが、始めてみるとこれがなかなかおもしろい。いつしか研究の合間をぬって足繁く庭園に通うようになっていた。
「──実験体の情操教育でも始めたの?」
 嘲笑するかのような声に、私はしゃがんだまま振り向く。声でわかってはいたが、やはりそこにいたのはケフカだった。彼は数歩近寄り、今私が手入れしている花壇の前で立ち止まった。
「人工物に土を触らせたって、ただの自己満足に過ぎないと思うけどねぇ。おや、今日はあの小娘は一緒じゃないみたいですね」
「そんなつもりは毛頭ないが……お前も時間があるなら一緒にやってみるといい。なかなか庭いじりもおもしろいもんじゃよ」
 彼女の話題には触れず、私はケフカに笑いかける。この苗はうれしいほど成長が早く、一部ではもうつぼみもつけ始めていた。
 さて葉の様子でも見ようかと、手をのばした矢先のことだった。成長の早さがまるで彼女のようで、特に手塩を掛けていたその苗はケフカの足によって無残に踏みにじられてしまった。
「帝国一の博士が、長閑に土いじりですか。莫迦莫迦しい。そんな暇があるなら他にすることがあるでしょうが」
 吐き捨てるかのように言い捨て、ケフカは外套を翻した。情けないことに瞬く間のできごとで反応もできず、ただ彼が去る姿を見送ることしかできなかった。
 彼は扉の前で思いついたように立ち止まり、振り返る。その顔には狂気をはらんだような笑顔が浮かんでいた。
「そうだ、博士の自己満足よりもいい案を思いついたよ。魔法の練習場にするといい。炎で焼き尽くすか、氷に閉じ込めてしまうか。なんなら僕の玩具と競わせてもいい。──まあ、紛いものが本物にかなうはずもないけどね。それなら喜んで協力しましょうとも」
 なにが面白いのか、高らかに笑いながらケフカは庭園から姿を消した。あとには呆然とした私と踏みにじられた苗だけが残された。
 私はそのかわいそうな苗に手を伸ばす。まるで彼女の行く末を暗示しているかのようで、なんとも言いようのない虚無感に襲われて飲みこまれてしまいそうだった。
 研究所だけではいけない。
 帝国だけでもいけない。
 もっともっと、広い世界を彼女に見せなくては。踏みにじられてもくじけない強い芯を持つ人間にならなくては。魔導士としての重責に潰されないように、将軍としての葛藤に負けないように、なによりも彼を始めとする他人に踏みつぶされてしまわないように。
 そのために彼女にしてやれることを精一杯してやらなければ。
 私は立ち上がって裾を払った。まずは、この苗の支柱になりそうな棒を探さなければならない。もう一度しっかり自分自身で立つ手助けをしてやろう。
 帝国に属するものとして、行った実験に罪悪感や後悔を抱いてはならない。そう言い聞かせながら、私は支柱を探すためにひとまず庭園を後にした。


 後日、その苗は立派に成長を遂げて美しい白い花をつけるようになった。
 私はその苗に彼女の名前をつけ、その年の誕生日に彼女へと贈ったのだった。


決断

 
 魔導研究所の最奥にある扉の向こうには帝国の秘宝があると、耳にしたのはいつのことだったろうか。もちろん一卒の研究員にすぎない私が扉の奥に入ることができるはずもなく、ただ秘宝の存在だけを心の隅で気に掛けながら毎日の研究をなんとかこなす日々だった。そのころの魔導研究所はまだできたばかりで、たいした研究ができるわけでもなく、ただ数だけ多い研究員の中でどう頭角を現そうかと試行錯誤していた。特に出世をしたかったというわけではなく、──いや、扉の奥を覗きうる権力を求めていたのだからやはり階段を登りつめたいという希望があったのだろうが、当時の私はそこまではっきりとした目的を持つわけではなくただ一群の群れの中から出たいという欲求とともに日々を過ごしていた。他の研究員と親交を持つわけでなく、もちろん魔導研究所の所長であるシド博士と言葉を交わす機会もなく、どちらかといえば研究所のなかであまたの研究員たちに溶け込み切れずに毎日試験管の中身を見つめていた。
 帝国の秘宝とはなんなのか。時折耳にする噂では宝石だとも書物だともいわれていたが、真偽を確かめる術すら持たない私には遠い世界の話だった。
 そのころの帝国といえばまだ軍事がすべての時代であり、ようやく南方大陸の制圧が完了したところで、軍事大国として台頭するかしないかといった時分だったろうか。シド博士は別格としても、まだまだ魔導研究所の研究員は道で軍人とすれ違えば道を譲らなければならないような立場でしかなかった。たかだか軍人風情に頭を下げねばならないことが腹立たしく、一向に研究の成果が出ない日々ももどかしく、とにかく何事につけても私の神経を苛立たせるようなことばかりだったことを覚えている。
 そうしながらひと月がたち、ふた月がたち、試験管の中身がこの世のものではなく、帝国の新たな力となり得るものであるという認識が広まり始めたころ、私は上司から呼び出された。
 会議室への道のりの中で、こそこそと話す声が聞こえたような気がしたが、あえて私はそれを耳にしないようにしていた。どうせ陰口に違いないのだからと、そう思いこんでいたせいで周囲の噂話を耳にしそびれてしまっていた。
 ──……、なんだってよ。
 ──げ、まじかよ!俺らじゃなくてよかったな。
 ──あの変人と違って俺たちは家族も友達もいるしな。
 ──まあ、あいつがどうなろうと知ったこっちゃないけど。
 私はちらりと彼らを振り返った。内容が耳に入ったわけでなく、ただなんとなく無意識のうちに。一人と目が合い、それを合図にしたかのように彼らは各自の持ち場へと散っていった。そんな彼らの姿に、私はまたひとつ嫌悪感を増やした。
 仕事でなにか成果を残すでもなく、ただ漫然と日々を送る彼ら。日常生活への文句は立派に口にしながら、それを正すためになんらかの行動をとるわけでもない。私自身はそんな彼らとは違うと、常々そう考えていたのがまた一つ積み重なっただけだった。
 前を歩いていた上司はただひたすら研究所の奥へと進んでいく。このままいけばあの扉の奥へも入れるのではないかといった淡い期待は打ち砕かれ、そのひとつふたつ手前の部屋の前で上司は立ち止った。
 上司といってもさほど年が違うわけでもなく、彼をその職位たらしめていたのは家柄だったのだろうか。年齢が十も離れていないということでなにか思うことがあったかは知らないが、一度だけ私の顔を見てから彼は扉をノックした。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。ゆっくりと扉を叩いて彼はその返答を待った。妙に動作が落ち着いていることになんら不信感を抱くわけではなく、ノックの数がふたつなら手水の合図だからみっつで正解だな、とのんびりしたことを考えていた。
 少し待ってから室内から返答があり、上司が前に立って入室した。驚くべきことに、室内にいたのは魔導研究所の所長であるシド博士であった。滅多に研究員の前に姿を現すことはなく、研究所開設時から席を置く身ですらその姿を見かけたことは数えるほどしかなかった。印象的な黄色のフードは記憶にある限りいつも同じで、そのフードがあったからこそ博士を博士と認識できていたといっても過言ではない。思い返せば風貌に強い印象を抱かせておいて、日常的には普通の身なりであたりを歩いていたのかもしれないが、それがそうだったといって特に気にすることでもなかった。博士が歩いていたからといって画期的な研究ができるわけでもなく、新しい結果が生まれるわけでもなく、私にとっては研究が成果となるほうが重要だった。
「──ケフカ・パラッツォだね」
 広くもない室内は天井までの本棚に囲まれており、それでもなお入りきらない書物が床の上に積み上がっていた。本棚の一つの前で本を手に取っていたらしいシド博士は本を手にしたまま私の顔を見、そうして頷く。
「きみはもういい、仕事に戻りなさい」
 短い返事を残し、上司は退室していった。一人取り残された私はどうすることもできず、ただ本棚にある書物の名前を目で追っていた。
「気になる本はあるかね」
 圧倒的に量の多い本の中からすぐに気になる本が見つかるはずがないが、シド博士の問いに私は頷いた。
「研究所の図書室にある本とはまた趣が異なりますね」
 シド博士の表情が少し変化した。
「おや、題名だけでわかるのかい」
「なんとなくですが」
「こういった本を、いや、図書室の本ではない本を読めるようになりたいとは思わないか」
 なにを言っているのかがわからず、私は本棚からシド博士へと視線を移した。
「研究所といえども、まだまだ一般の研究員には明らかにできないことが山ほどある。ここにある本も研究員には見せられない。そういった、本や知識や……帝国の深部を覗いてみたいとは思わないかね」
 部屋の窓は本の日焼けを防ぐためか今なお薄い遮光幕で覆われており、それを通してしか明かりは室内に差さない。それでもこれだけはっきりと文字が認識できるということは、よっぽど外は光にあふれているのだろう。そんな外界とは大きくかけ離れた世界が今、目の前で扉を開けて私を誘っている。この機会を逃せばあとはない、無意識のうちにそう感じていた。
「研究所の一員である以上、知り得る知識は得たいと常々考えています」
「そんなうわべだけの言葉で済む話ではないぞ」
 教科書通りの返答は博士によって切り捨てられた。
「──なぜ、私なのですか」
 名家の出身でなく、それどころかもらわれ子で当の本人ですら出身地の記憶を持たず、友人知人の数も少なく、そういった身寄りのなさか。思い当たる点はそれしかなかった。常日頃の研究に対する姿勢への評価であればこれ以上なく喜ばしいことではあったが、ただそれだけでこの場に呼び出されたとするには説得力に欠けている。
「打ち明けるに値する人物だと、そう報告を受けてね。もちろんきみを評価したものにはなにを打ち明けるかまでは伝えていないが。他人からの評価だけではどうしても信用ができず、私自身も何回かきみの日頃の取り組み姿勢を観察させてもらったよ」
 そこで博士は一度言葉を切り、改めて私の顔を見据えた。
「決定打となったのは、きみのその視線だ。周囲を見下げているその内面を、隠そうとしているのだろうが時折視線に出てくることにきみは気づいていないだろうが。これはただの研究員として終わるものの視線ではない。もちろん、同じような考えを持っていたとしても運悪く埋もれてしまうこともあるだろうが、きみは運がいい。時期も、周囲の環境も、本当に運がいい。あとはきみの判断次第だ」
「博士しかご存じでないその知識を分けていただくにあたって、私が払う犠牲とはなんなのでしょうか。ここまで重大なことを打ち明けられ、そのうえ更なるものを与えていただくことに、なにも対価を払わずにいられるとはさすがに思えません」
 冷静に言葉を吐き出しながら、その裏側で今日はもう一日分話をしたなどとのんきなことを考えていた。日頃他人と言葉を交わすことがないせいか、もう今の時点で普段の会話の時間を超えてしまったような気がした。
 目の前に吊り下げられている餌は大きく、周囲の状況を窺おうにも餌が大きすぎて視界を遮っている、そんな気持ちだった。目がくらんで飛びつくことは簡単にできるのだろうが、飛び上がってその着地点に地面がないというのではお話にならない。
「──魔大戦を知っているかね」
 問うわけでもなく、博士は口を開いた。
「まあ、この研究所に籍を置く以上知らないではすまされないが。ここにある本はその魔大戦に関するものが多い。もちろん図書室にも置いてはあるが、ここの本と図書室の本には決定的な内容の差がある。それがなにか判るかね」
 見当もつかなかったため、私はその通り述べた。博士は書棚に手を伸ばし、一冊の大きな本を手に取る。相当に古い本であるらしく、本の背はほとんどが朽ち果て、本としての形を保っているのが不思議なほどだった。博士はその本を開き、私に見せた。
 そこにあったのは文章でなく、一枚の絵だった。どう見ても人ではない、異形のものが数行の解説とともに描かれている。
「これは……」
「魔大戦を支えた一つの柱である、幻獣というものだよ。きみも名前くらいは耳にしたことがあるだろう。今この国は軍事力によって成り立っているが、それだけでは心もとないと皇帝は考えておられてね。今は抜きんでていても、他国が並び立つ可能性もなくはない。そこで目を付けたのが魔力だ。とはいっても魔大戦を支えた魔導士たちは魔導士狩りによって滅びているし、幻獣たちがそのへんを歩いているわけでもない。元凶ともいえる三闘神はそれぞれ自らを石化してしまっている。そこで私は幻獣に関する禁書を集めて、幻獣界と呼ばれる世界があることを突き詰めた」
 博士は手にしていた本を閉じる。空気が動いたせいか、埃っぽい黴臭いにおいが鼻についた。
「そうして皇帝は奇跡的にも幻獣界へと辿りついた。そこで我々は興味深いものを手に入れてね」
 話がだんだんと核心に近づいているせいか、私は背筋に薄ら寒いものを感じるようになっていた。それにしても、博士はとても重要な話をしてはいないか?自分の身を惜しむわけではないが、一方的に呼びつけられて機密事項を耳にしてしまったという理由で口を封じられることは勘弁被りたい。
「と同時に幻獣を数体手に入れることに成功した。今きみたちが研究しているのはその血液なんだよ。いかに安定的に魔力を取り出すか、ここへきてようやく方向性が見えてきたところだ」
 今まで訳もわからず研究に取り組まされていたものの正体を知り、私は身震いした。日々の数字を積み上げるようなしょうもない実験ではあったが、まさか幻獣を相手にしていたとは。
「さて、伝えるべき事項はすべて伝えられたように思う。もちろん質問があるならばしてくれて構わないが」
「その、幻獣とは別の興味深いものとはなんなのですか」
 博士は目を開く。かすかな反応ではあったが、見逃すほどのものでもなかった。
「魔導研究所の深部に、帝国の秘宝があると、そういった噂を耳にしたことはあるかね」
 来た、と思った。ついに近づくときが来たと。今までの時間を無駄にしないためにも、ここで食らいつかねばならない。
 私は静かに頷いた。
「具体的になにが、とまでは知りませんが、耳にしたことはあります」
「実は皇帝は幻獣界から帰られたときに、一人の赤子を連れて帰ってきたのだ。人間と、幻獣の合いの子だという。まだ一歳になるかならないかの赤子だが、それが帝国の秘宝の正体だよ。ある意味ですでに帝国は魔導の力を手にしているともいえなくはないな」
 夢にまで見て焦がれたものの正体は、まったくもって予想外のものだった。予想外ではあるが、ここまで近づけた以上は実際に拝まなければなるまい。人間とはこうも貪欲になれるものだと、身をもって初めて知った。
 身の内から沸き立つ思いに震える私へ、博士はさらに言葉を続ける。
「君が望むのであれば、その赤子の世話を任せるのもやぶさかではない。──ただし、この条件をきみが飲むということが前提ではあるが」
 さらなる階段を示されてのぼらずにいられるような殊勝な性格はしていない。どんな条件であろうと、たとえそれが身を滅ぼすことになろうとも受けようと思った。それが本当に身を──実際には心を、だが──滅ぼすことになろうとは思わなかったけれども、結果を知ることができたとしても私はその階段をのぼることを選んでいただろう。
「魔力を安定的に取り出す方向性が見えたと伝えたね。皇帝はそれを実際に人へ注入せよとおっしゃっている。つまりは人工の魔導士を作ろうというのだ。そうして軍事力だけではなく、帝国を発展させることを望んでおられる。ただし、取り出す方向性が出ただけであって実際に人に注入したわけではない。実験台としての性格が強くなることは決して否定できない。成功すれば魔導士に、失敗すれば最悪死が待っている──払う犠牲がもしかしたらとてつもなく大きくなるような賭けだが、成功すれば一気に将軍とならぶ地位へ近づくことができる。どうだろうか、きみはこの賭けにのることができるだろうか」
 やはり私の出自によって選ばれたものだったか、と合点がいった。
 ──それならば、乗ってやろう。
 孤児である私が権力の階段をのぼりつめ、帝国の秘宝をも手に入れる。こんなにも愉快な話があるだろうか。失敗したらしたでいいではないか。どうせくだらない研究しかできない、軍人に莫迦にされるようなつまらない日々しか待っていないのだから。
 考えるまでもなく、私の答えは決まっていた。
 シド博士の顔を改めて見据え、私は口を開いた。






 その日から後、魔導研究所でケフカ・パラッツォの姿を見るものはいなくなった。
 彼らが彼の姿を再び目にするのは、数年後の軍組織再編成時、はるか上の段上にて皇帝やレオ将軍の脇に並んだときであったという。
 そこには地味な研究員の姿はなく、あるのは別人のように装いも雰囲気も変わった大魔導士の姿だった。

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おわかれと、

 ──ああ。
 彼女は空を見上げる。覚えている色とはすっかり色を変えてしまった空を。この茜色の空は彼に通じているのだろうか。
 いいや、通じていなければ困る。でなければこのバンダナをこの子が持っているはずがないのだから。
 血のにじんだバンダナを外し、彼女は小鳥を掌に乗せる。傷はもうないので、おそらく随分と前に彼と小鳥は出会ったのだろう。
「ロックのところへ案内してくれる?」
 そう独りごちると、それを合図にしたかのように小鳥は飛んでいった。姿が見えなくなるまで見送り、彼女は立ち上がり砂を払う。心細さも残るが、それよりも今はバンダナを手にした喜びのほうが大きかった。少なくとも、彼はあの崩壊を生き延びた。その事実がわかっただけでも大きな収穫だった。
「さてと、いつまでもここにはいられないわね」
 どうやってこの島から脱出するか、そもそも地図もなく大海原へ出ていかなくてはならない。
「剣もあるし、魔法もどうやら使えるようだし、とりあえず行くしかないか」
 途中海の藻屑と化す可能性もなくはないが、そこまでだったというだけのことだ。もとより運の強いほうでもないが、今はこのバンダナというお守りもある。なぜだか、漠然とどうにかなるという自信があった。
「まずはおじいちゃんとしっかりお別れをして」
 高台から小屋の位置を確認し、
「それからあのベッドを解体して船を作らなくては」
 小屋へと来た道を戻る。現金なことにこの坂道を登ってきたときとは別人のようだった。
「そうしたら持てるだけ食料と水を持って海へ出よう」
 自分を元気づけるかのように独りごちながら、彼女はひたすら歩く。途中で襲いかかってくるモンスターはいい腕慣らしの相手だった。一年寝込んでいたおかげで、すっかり体がなまってしまっている。
 小屋へ戻ると、先ほどは目に入らなかった封筒が目にとまった。訝しく思い、彼女はその封筒を手に取る。無意識に裏返してもなにも文字はなく、封を開けると一枚のメモが入っていた。
 その文字を追ううちに、彼女はゆっくりと全身が深い虚無感に覆われていくのを感じた。
 ──私はなにもわかっていなかった。
 ただ呆然として、彼女は振り返る。寝台に横たわる博士はすでに冷たくなり始めている。
 穏やかな日々が続くことを祈るかのように見えた博士は、こうして外界に旅立つ用意をしてくれていた。それが何を思ってのかを推し量る術こそもうないが、彼女がいずれ旅立つと思っていたからこそではないか。
 ──ああ、もっと。
 もっと、あなたと話をするべきだった。
 魔導研究の権威としてなにを考えていたのか。すっかり変わってしまった世界をどう捉えていたのか。
 思い返せばいくらでも話すべきだったことが思い浮かぶ。
 ──私はどこまでも、愚かだ。
 愚かで、情けなくて、幼い。
 気づくと頬をつたった涙が手紙の上に落ちている。落ちた涙は文字を溶かしていた。

 博士の埋葬を終え、彼女は筏を地下室から砂浜へと運んだ。
 朝日があたりを照らすなかで、彼女は眼前に広がる海を見据える。
 ──もう後悔しないように。
 やれることを全てやってから、博士と話し合うことを自分に許そう。
 一度だけ小屋と博士の墓を振り返ってから、彼女は筏を海に浮かべた。


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