ここのところ、閣議はもっぱらひとつの話題で占められていた。
そもそもの発端は、歳費の縮小の一環として古参の公爵が徴兵制の廃止、ひいては軍の縮小を提言したことによる。帝国なき現在に軍隊が必要かどうか、再び世界征服を目論む勢力となりえるのではないか、との意見はまるで水面に投げ入れられた小石のごとく、瞬く間に閣議に出席する貴族たちの間へと波紋を広げていった。
この公爵は先代の王の時分に任命されて以来をフィガロのために尽力しており、貴族の中でも一、二を争うほど先代に傾倒している人物であった。そのためか今の若き王に対してはいろいろと思うこともあるようで、行き過ぎた発言を周囲が窘めることも度々目撃されていた。そんな公爵に端を発した意見であったため、若き王が大事にする軍を縮小し、力を削ごうとしたのではあるまいかとの見方もないわけではなかった。
もちろん全てが軍縮に賛成するわけもなく、賛成派と反対派によってここ数日の閣議は紛糾する有り様であった。当の王はというと地方の小反乱の遠征に出かけており、閣議を導く道筋も立たないままの日々が続いていた。
王の帰りをあと数日に控え、貴族たちの間では王の帰城を待って一連の議論の決着をつけようとする意見が多数を占めていた。
「やはり、軍はフィガロにとって負担となっても益とはならん」
度々繰り返された議題が再び持ち出されようとし、セリスは眉をしかめた。その表情に気付いたのか、公爵が片眉を持ち上げる。
「おや、貴殿は不服かね。やはり帝国の元将軍は、軍閥を作ろうとされているのか」
明らかに嘲笑の混じったその声に、セリスは首を振る。
「いいえ、そんなことは。しかしながら、公爵のように軍縮を推進される方が増えるとゆくゆくは軍を廃止しろとの意見が出てくるのではないでしょうか」
実際、まだ数は少なかったがそんな意見も耳にしていた。
「先の戦いのようなことが起こりえるかどうかは別にして、軍を持たないという愚策は国力の低下を招くかと」
セリスの発言に、会議室の中に苦笑が広がった。顔ぶれをみると、大体が公爵へ肩入れしている面々ばかり、これもいつものことだった。
「やはり元将軍は軍がないとお寂しいようだ。そのうち再び帝国の再建をと考えておられるのではないか」
取り巻きとそんなことを口にする公爵を視界の端で捉えて、セリスは書類で机を叩いて立ちあがる。
「本日の議題はすでに終了しました。失礼します」
言い捨てて退室する。それをきっかけにしたかのようにその日の閣議は解散となった。
「──狸爺が」
「おや、レディがそんな汚い言葉を使うものじゃないよ」
突然背後から振った声に驚き、セリスは背筋を凍らせる。振りかえるとこの城の主が笑みを湛えていた。
「びっくりした、いつ帰ってきたの?あなたがいないせいで今大変よ」
「聞いた。だから忍びで帰ってきたんだ。正式な凱旋は明日になるかな」
まるで人ごとのような言い方にセリスは苦笑する。ということは、エドガーが今ここにいることを誰にも知られず送りださねばならないということだ。
「王様も大変ね。まあ入って」
フィガロの問題は一見ないかのように見えて深い。それでこういったことがこれまでに何度かあった。何回目かを経た後、突然セリスの部屋が離れの塔の1階へと移された。表向きは執務に集中するためという理由づけだったが、その理由の裏側にこういった事情が隠されていた。エドガーが不在の間に問題が起これば、それをどこからか聞きつけて正式な帰城の前に事情を探りにき、セリスが説明して送り出して何事もなかったかのように凱旋するというわけだった。
執務室の奥の自室へとエドガーを通し、セリスは椅子へ腰掛ける。エドガーも同じように腰掛けた。周囲に人はいないとはいえ、自然と声が小声になった。
「徴兵制を廃止して、軍を縮小すべきだという意見が出ているの。もちろん私を含めて反対派もいるのだけど、言いだしっぺがあの狸なおかげで、閣議はごちゃごちゃよ」
「レディはもう少し言葉を選ぶべきだよ。──まあいい、軍縮か」
考え込むかのようにエドガーは顎へ手をやった。セリスは首を傾げる。
「あら、してもいいと考えてるの?」
エドガーは苦笑して手を振る。
「そういうわけではないが……それを抑える理由が難しいな。確かに一理ある」
「あなたも、公爵も、莫迦じゃないの?軍は国力の要となるものじゃない。軍の存在意義は兵力だけじゃないと少し広げて考えれば軍縮だなんて莫迦みたいな意見が出るはずがないのよ」
セリスの発言に、エドガーは不審げな表情を浮かべる。それを見てセリスは指を組んだ。
「帝国のころから考えていたの。若い男性を徴兵して、軍人として育てて使い捨てにしてまた新しい人を集めてきて……なんて無駄なことを繰り返しているのかしらって。あの時は戦争ばかりしていたから仕方ないけれど、いつか平和な世界が訪れたらこんな無駄なことしていたらいけないってね。どうせ平和になったら兵隊の使い道なんてないんだから、例えば訓練がてら荒れ地を開墾して人が住める土地を広げたり、河川が氾濫しないように堤防を作ったり。それで一通り覚えて満期が来たら、その人は故郷へ帰って覚えたことを活かせばいいのよ。そのうち男性はみんなある程度のことができるようになって国力の増強にもつながるわ。それに軍のない国など、自ら軽んじてくれと宣言しているようなものだし」
ずっと考えていたこと。帝国では実現しようもないと思っていたが、まさか提案できるような日がくるとはセリス自身も考えてはいなかった。エドガーの反応をうかがおうと下から顔を覗き込むと、半分口をあけて呆気にとられた表情をしている彼と視線が合った。その間抜けな表情に、どちらともなく噴き出してしばらく笑いあう。
目尻ににじんだ涙をぬぐいながら、エドガーが言う。
「驚いたよ。まさか帝国の常勝将軍がそんなことを考えていただなんてね。しかしそれはいい。その案を使わせていただいてもいいだろうか」
セリスは頷く。
「もちろん構いません。まさか私もこの考えが採用される日が来るとは思ってもみなかったわ。ありがとう」
「礼を言うのは私のほうだ。いやしかし、やはりこういった知的というか政策的な会話ができる女性というのはなんとも魅力的に映るものだね。実に楽しい。美しく着飾るだけが取り柄の貴婦人方とは違う」
「これでもいろいろと詰め込まれてきたから。それでもそうやって思う男性は少ないのじゃないかしら」
現に、表立ってこそではないが、セリスについて女のくせに小賢しいことを言う、と嘲る声があることは耳にしている。仲間たちと過ごしていたときには考えることもなかったが、やはりこういった封建的な世界に入ると政治は男のものといった風習が色濃く残っていた。
苦い笑みを浮かべるセリスに、エドガーはひとつ溜息を吐く。
「情けない話だが、事実だろうね。まあ、そういった古い風習はおいおい掃除していかねばなるまいよ。それにしてもこの才女を野に放つのはとても惜しい。──少しでも長く手元にいていただきたいものだ。セリスさえよければ、私の隣の席を用意するが」
予想外の言葉にセリスはエドガーの顔を見る。普段の軽言を言う表情とはまた違って、笑みの後ろに真剣な表情が隠れているように見えなくもない。しかしセリスは首を振った。
「そんなことを軽々しく言うものじゃないわ。エドガーが真剣に私のことを愛してくれるというのなら話はまた別なのだろうけど、あなたにはもう大事な人がいるじゃない。他の女性を気にする人の隣には座れないわ。それに、結局のところあなたはこの国が一番なんだから、可能な場面がくればきっと私の存在を利用することに躊躇しないはずだわ。元帝国将軍だった私をね」
きっと笑って私を切り捨てるに違いないわ、と笑うセリスを見てエドガーは内心で吐息をついていた。これは、予想以上に手強い。まさかここまで内心を読まれているとは。妃に、と思う気持ちも確かにある。ただその裏に使いやすい存在という下心があることも認めなければなるまい。まだ若く、美貌の才女。これほど玉座に座らせて映える女性はなかなかいない。それに加えて帝国の元将軍という肩書まで備えるセリスに対抗できるものはいないだろう。
手放すのが惜しい。これだけはなんの下心もなくそう思える。だからエドガーはそうセリスに伝えた。
するとセリスは晴れやかに笑う。
「ありがとうございます。彼が帰ってくるまでは、この場所にとどまるつもりだから、存分に利用してくれて構わないわ。実は私もこんな会話ができるのが楽しくて仕方ないの」
くすくすと笑いあい、そうして夜は更けた。
完全に夜明けを迎える前にエドガーは去り、城まで戻りつつある軍列に戻って行った。
明日になれば何事もなかったような表情で帰城するのだろう。
セリスはそれを考えて笑む。明日の閣議がいったいどうなるのか、楽しみだ。