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もっと言って

 
 ──お前はほんとに
 夢の中、靄につつまれた向こうで彼はいつもの口調で言う。
 それを直接耳にしていたころはその口調すらも腹立たしいような気がしていたのだけれども、今となっては懐かしいような悲しいような、そんな気分になるのが不思議だった。
 もう何年前のことになるのだろう。そのまま夢の中でたゆたっていたいような気もするというのに、つい目が覚めてしまって私は寝台の上に半身を起こした。まぶたを開けると空気が乾いていて、それで反射のように涙が一筋こぼれた。
 その涙にすら私はうろたえる。泣いているわけではないのだが、なぜか無性に彼が懐かしかった。
 世界を破壊し尽くした彼を懐かしいなどと、とても人前で口に出せることではない。なので自分の心の中に留めておかなければならないことが嬉しくて、つい笑ってしまった。
 私の中に閉じ込めておけば、誰にも邪魔をされずに永遠にきれいな思い出として残すことができる。
 あの、夕暮れの美しさも、その中で鈍く輝く鋼の城も、たくさんの線でつながれた街並みも、それを窓の中から眺める彼の骨ばった肩も、骨が浮き出るその背中も、その手も、声も、私を酔わせる彼の香りも、なにもかも。あのころに戻りたいかと問われればきっと今でも逡巡するのは判っていた。戦場に出て戦いはしても、結局は狭い世界の中で動く人形に過ぎなかったけれども、それはそれでひとつの在り方だと信じていたのだから。
 とてもではないが、一緒に過ごした仲間たちに告げられることではない。似たような環境で過ごしたティナにも伝えられないだろう。きっと、彼女は困った顔で微笑むだけなのだろうから。それが彼女にとっていいことなのかそうでないのか、私からすると当時の記憶は消して忘れたいものでも消し去りたいものでもないのだが、彼女も同じとは限らない。
 私は首を振った。昔の話を懐かしんでいたってなにも生み出しはしない。ひとり懐かしむだけにしておかなければならない。どこまでいっても孤独な気がしてしまうが、今は隣に彼がいるのだ。この感傷が彼に伝わってはいけない。
 すっかり熟睡している彼を見て、私は体の向きを変えた。



 なにかが顔に触れて目が覚めてしまった。訝しく思って目を開けると、セリスの顔が眼前にあった。それで垂れた髪の房が顔にかかったのだろう。やっぱりきれいな髪だなと思いながらその房を手に取り、もう一度眠りの淵に落ちそうになった。
「──ねえ」
「んー?どうした」
 半分寝ぼけながらの返事だったことは否定できないが、俺はもう一度目を開ける。
「私ってかわいい?」
「かわいいよ」
 目の前のセリスの表情がどこか悲しげで、思わずもう一言付け足してしまった。「笑ってたらもっとかわいい」
「初めて言われたわ」
「そうか?まあみんなきれいって思うのかもしれないけど」
「私でいいの?」
 先ほどからセリスの言葉にはなにかが欠けている。それがなにかはっきりしないのをもどかしく感じながら、俺は両手でセリスの頬を触った。
「セリスがいいの。なに言ってんのさっきから」
 自分でもこっぱずかしい科白だと思うが、それでもセリスの表情は晴れない。どこかの王様ならこういうとき上手いこと言うのだろうなと頭のどこかで考えていた。
「本当に?」
 上手い言葉が思い浮かばないので、抱きしめることにした。セリスの顔が真上から真横へと移動する。ふわふわとした髪がくすぐったいが、不快に感じるはずもない。
「こんなに好きなのに、なんで伝わらないかなあ」
 ようやくセリスが笑った。くすくすとすぐ横で笑う声がする。
「もっと言って」
「好きだよ」
「もっと」
 何回かそんなやりとりを繰り返しながら、セリスの声に欠けていたなにかが戻っていく。
 いい加減恥ずかしくなり、体の位置を変えて今度は俺がセリスを見下ろした。セリスはまっすぐ俺を見つめてくる。
「言葉で言いきれないことを体で示すんだと思うけど──どうかな」
 二人で笑い合い、そうしてセリスは俺を抱きしめてくれた。


 こんなふうに毎日を過ごして、記憶の底に沈めていくのだ。
 あの、夕暮れの美しさも、その中で鈍く輝く鋼の城も、たくさんの線でつながれた街並みも、それを窓の中から眺める彼の骨ばった肩も、骨が浮き出たその背中も、その手も、声も、私を酔わせた彼の香りも、なにもかも。

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ご案内

インテに参加されたみなさまおつかれさまでした〜!!
わたくしめも、あじっこ大先生の横でコッソリ参加させていただきましたよ
初めてサークル参加なるものをいたしましたので、それはもう楽しかった!
ごあいさつさせていただいた皆々さま、ありがとうございました〜

そしてね、奇特なことに本を買ってくださる方もいらっしゃいましてね、もう嬉しいのとありがたいのとで死ぬかと思いました
(若干熱中症気味でしたが)
ここを見てくださっているかわかりませんが、本当にありがとうございました!


そして偉そうで恐縮なのですが、こちらでも通販をさせていただきたいと思います。







●「薔薇の人」●
(A5/P64/500円/オンデマンド印刷/表紙フルカラー本文黒、トレぺのカバーあり/500円)
 セリス幼少期〜将軍になるまで、若干ケフセリ風味 
 表紙と装丁を白昼夢想((http://saga.you-c.net/))のようしさんにお願いしました(なんと贅沢な!)


もし興味を持ってくださる方がおられましたら、 tako_tt★hotmail.com(★→@に変えてくださいませ)でご連絡先のメールアドレスをお伝えくださいませ
よろしくお願いいたします





最近ちょっと拍手の調子が悪いようです
(押していただいたのに数字がカウントされない、など)
もしお返事しそびれている方いらっしゃったら、申し訳ありませんがぜひお伝えください
ここの拍手、コメント入力しても2回送信を押さないといけないのがめんどっちいですよねほんと…



以下拍手お返事でございまする
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いとしきみへ

 
 ここのところ、閣議はもっぱらひとつの話題で占められていた。
 そもそもの発端は、歳費の縮小の一環として古参の公爵が徴兵制の廃止、ひいては軍の縮小を提言したことによる。帝国なき現在に軍隊が必要かどうか、再び世界征服を目論む勢力となりえるのではないか、との意見はまるで水面に投げ入れられた小石のごとく、瞬く間に閣議に出席する貴族たちの間へと波紋を広げていった。
 この公爵は先代の王の時分に任命されて以来をフィガロのために尽力しており、貴族の中でも一、二を争うほど先代に傾倒している人物であった。そのためか今の若き王に対してはいろいろと思うこともあるようで、行き過ぎた発言を周囲が窘めることも度々目撃されていた。そんな公爵に端を発した意見であったため、若き王が大事にする軍を縮小し、力を削ごうとしたのではあるまいかとの見方もないわけではなかった。
 もちろん全てが軍縮に賛成するわけもなく、賛成派と反対派によってここ数日の閣議は紛糾する有り様であった。当の王はというと地方の小反乱の遠征に出かけており、閣議を導く道筋も立たないままの日々が続いていた。
 王の帰りをあと数日に控え、貴族たちの間では王の帰城を待って一連の議論の決着をつけようとする意見が多数を占めていた。

「やはり、軍はフィガロにとって負担となっても益とはならん」
 度々繰り返された議題が再び持ち出されようとし、セリスは眉をしかめた。その表情に気付いたのか、公爵が片眉を持ち上げる。
「おや、貴殿は不服かね。やはり帝国の元将軍は、軍閥を作ろうとされているのか」
 明らかに嘲笑の混じったその声に、セリスは首を振る。
「いいえ、そんなことは。しかしながら、公爵のように軍縮を推進される方が増えるとゆくゆくは軍を廃止しろとの意見が出てくるのではないでしょうか」
 実際、まだ数は少なかったがそんな意見も耳にしていた。
「先の戦いのようなことが起こりえるかどうかは別にして、軍を持たないという愚策は国力の低下を招くかと」
 セリスの発言に、会議室の中に苦笑が広がった。顔ぶれをみると、大体が公爵へ肩入れしている面々ばかり、これもいつものことだった。
「やはり元将軍は軍がないとお寂しいようだ。そのうち再び帝国の再建をと考えておられるのではないか」
 取り巻きとそんなことを口にする公爵を視界の端で捉えて、セリスは書類で机を叩いて立ちあがる。
「本日の議題はすでに終了しました。失礼します」
 言い捨てて退室する。それをきっかけにしたかのようにその日の閣議は解散となった。

「──狸爺が」
「おや、レディがそんな汚い言葉を使うものじゃないよ」
 突然背後から振った声に驚き、セリスは背筋を凍らせる。振りかえるとこの城の主が笑みを湛えていた。
「びっくりした、いつ帰ってきたの?あなたがいないせいで今大変よ」
「聞いた。だから忍びで帰ってきたんだ。正式な凱旋は明日になるかな」
 まるで人ごとのような言い方にセリスは苦笑する。ということは、エドガーが今ここにいることを誰にも知られず送りださねばならないということだ。
「王様も大変ね。まあ入って」
 フィガロの問題は一見ないかのように見えて深い。それでこういったことがこれまでに何度かあった。何回目かを経た後、突然セリスの部屋が離れの塔の1階へと移された。表向きは執務に集中するためという理由づけだったが、その理由の裏側にこういった事情が隠されていた。エドガーが不在の間に問題が起これば、それをどこからか聞きつけて正式な帰城の前に事情を探りにき、セリスが説明して送り出して何事もなかったかのように凱旋するというわけだった。
 執務室の奥の自室へとエドガーを通し、セリスは椅子へ腰掛ける。エドガーも同じように腰掛けた。周囲に人はいないとはいえ、自然と声が小声になった。
「徴兵制を廃止して、軍を縮小すべきだという意見が出ているの。もちろん私を含めて反対派もいるのだけど、言いだしっぺがあの狸なおかげで、閣議はごちゃごちゃよ」
「レディはもう少し言葉を選ぶべきだよ。──まあいい、軍縮か」
 考え込むかのようにエドガーは顎へ手をやった。セリスは首を傾げる。
「あら、してもいいと考えてるの?」
 エドガーは苦笑して手を振る。
「そういうわけではないが……それを抑える理由が難しいな。確かに一理ある」
「あなたも、公爵も、莫迦じゃないの?軍は国力の要となるものじゃない。軍の存在意義は兵力だけじゃないと少し広げて考えれば軍縮だなんて莫迦みたいな意見が出るはずがないのよ」
 セリスの発言に、エドガーは不審げな表情を浮かべる。それを見てセリスは指を組んだ。
「帝国のころから考えていたの。若い男性を徴兵して、軍人として育てて使い捨てにしてまた新しい人を集めてきて……なんて無駄なことを繰り返しているのかしらって。あの時は戦争ばかりしていたから仕方ないけれど、いつか平和な世界が訪れたらこんな無駄なことしていたらいけないってね。どうせ平和になったら兵隊の使い道なんてないんだから、例えば訓練がてら荒れ地を開墾して人が住める土地を広げたり、河川が氾濫しないように堤防を作ったり。それで一通り覚えて満期が来たら、その人は故郷へ帰って覚えたことを活かせばいいのよ。そのうち男性はみんなある程度のことができるようになって国力の増強にもつながるわ。それに軍のない国など、自ら軽んじてくれと宣言しているようなものだし」
 ずっと考えていたこと。帝国では実現しようもないと思っていたが、まさか提案できるような日がくるとはセリス自身も考えてはいなかった。エドガーの反応をうかがおうと下から顔を覗き込むと、半分口をあけて呆気にとられた表情をしている彼と視線が合った。その間抜けな表情に、どちらともなく噴き出してしばらく笑いあう。
 目尻ににじんだ涙をぬぐいながら、エドガーが言う。
「驚いたよ。まさか帝国の常勝将軍がそんなことを考えていただなんてね。しかしそれはいい。その案を使わせていただいてもいいだろうか」
 セリスは頷く。
「もちろん構いません。まさか私もこの考えが採用される日が来るとは思ってもみなかったわ。ありがとう」
「礼を言うのは私のほうだ。いやしかし、やはりこういった知的というか政策的な会話ができる女性というのはなんとも魅力的に映るものだね。実に楽しい。美しく着飾るだけが取り柄の貴婦人方とは違う」
「これでもいろいろと詰め込まれてきたから。それでもそうやって思う男性は少ないのじゃないかしら」
 現に、表立ってこそではないが、セリスについて女のくせに小賢しいことを言う、と嘲る声があることは耳にしている。仲間たちと過ごしていたときには考えることもなかったが、やはりこういった封建的な世界に入ると政治は男のものといった風習が色濃く残っていた。
 苦い笑みを浮かべるセリスに、エドガーはひとつ溜息を吐く。
「情けない話だが、事実だろうね。まあ、そういった古い風習はおいおい掃除していかねばなるまいよ。それにしてもこの才女を野に放つのはとても惜しい。──少しでも長く手元にいていただきたいものだ。セリスさえよければ、私の隣の席を用意するが」
 予想外の言葉にセリスはエドガーの顔を見る。普段の軽言を言う表情とはまた違って、笑みの後ろに真剣な表情が隠れているように見えなくもない。しかしセリスは首を振った。
「そんなことを軽々しく言うものじゃないわ。エドガーが真剣に私のことを愛してくれるというのなら話はまた別なのだろうけど、あなたにはもう大事な人がいるじゃない。他の女性を気にする人の隣には座れないわ。それに、結局のところあなたはこの国が一番なんだから、可能な場面がくればきっと私の存在を利用することに躊躇しないはずだわ。元帝国将軍だった私をね」
 きっと笑って私を切り捨てるに違いないわ、と笑うセリスを見てエドガーは内心で吐息をついていた。これは、予想以上に手強い。まさかここまで内心を読まれているとは。妃に、と思う気持ちも確かにある。ただその裏に使いやすい存在という下心があることも認めなければなるまい。まだ若く、美貌の才女。これほど玉座に座らせて映える女性はなかなかいない。それに加えて帝国の元将軍という肩書まで備えるセリスに対抗できるものはいないだろう。
 手放すのが惜しい。これだけはなんの下心もなくそう思える。だからエドガーはそうセリスに伝えた。
 するとセリスは晴れやかに笑う。
「ありがとうございます。彼が帰ってくるまでは、この場所にとどまるつもりだから、存分に利用してくれて構わないわ。実は私もこんな会話ができるのが楽しくて仕方ないの」
 くすくすと笑いあい、そうして夜は更けた。
 完全に夜明けを迎える前にエドガーは去り、城まで戻りつつある軍列に戻って行った。
 明日になれば何事もなかったような表情で帰城するのだろう。
 セリスはそれを考えて笑む。明日の閣議がいったいどうなるのか、楽しみだ。
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壁の向こうに

 帝国の元将軍を、国の重鎮に据える。
 かつて敵としてこちら側の誰もが忌み嫌っていたに違いないその人物を徴用しようとは、誰が考えつくだろうか。姿を変える前の世界を知る国民であればとても選びようがないその選択を採ったのは、他でもないフィガロの若き国王だった。
「──他に英雄はいくらでもいるではないですか。再考すべきです」
 大臣の進言に、エドガーはにべなく首を振る。
「お前はいつから国王になった。私は王座から降りた覚えはないぞ」
 考えてもみろ、と窓の外を見ながらエドガーは続ける。四角く切り取られた向こうでは、日が砂漠に溶け落ちようとしている。灼熱の時間が終わろうとしていた。
「かつて世界を二分していた勢力が手を組み、復興へ向かうといういいプロパガンダになるではないか。家臣の一とすることで、なおかつフィガロが帝国を飲み込んだという意味合いにもなる。その意味で彼女以上の適役はないぞ。誰が反対しようと変更するつもりはない」
 それに、今さら彼女が帝国の生き残りとして活動するはずもない。長い戦いを共に乗り越えたエドガーはその点についてゆるぎない自信を持っていたが、あくまでも部外者にすぎない家臣たちにはそうは思えないようだった。
 それに彼女には行く先も帰る先もないのだ。どうせあの男と一緒に泥棒稼業をするしかないというならば、彼女にとっては才能の無駄遣いという他ない。ただでさえ統治するべき地が増えた今、少しでも有能な人物は手元に留めておきたかった。
「国土の復興を国民は待ってはくれんぞ。無駄口を叩いている暇があったら他にすることがあるだろう」
 実際、毎日毎日待ったなしで国民からの要請が上がってくる日々が続いていた。勢いがあるのはいい傾向だが、それをこなしていく官の手はいくらあっても足りないのが現状だった。時にはエドガー自身が出向くこともあるほどで、忙殺されるという言葉がこれほど身に染みたことはない。同じような環境に彼女を置くことによって、少しでも彼女を物憂いの海から掬い上げたいという考えを無意識のうちにどこかで抱いていることをエドガーは認めざるを得なかった。


 あの男は長い戦いが終わって落ち着く間もなく、また世界を飛び回る生活を選択したようだった。
 ──あの莫迦が。
 エドガーは廊下を歩きながら独りごちる。
 彼女の前から姿を消す前夜、ロックは独りエドガーを訪ねてきたのだった。
「なあ親友、セリスを頼むよ」
 訪れるなりそんなことを言い出し、反応のしようもなかったことを覚えている。
「一緒になりたくないわけじゃないんだけど、とりあえずしばらくは預かってくれないかな」
「お前はどうするつもりなんだ」
 エドガーの問いに、ロックは手にしていた酒壜をあおる。まるで酒精の力を借りないと口にすることができないとでもいうような飲み方だった。
「とりあえずしばらく一人で世界を回ってみるよ。空を飛び回ってるだけじゃなくて自分で歩いてみないと」
「そうじゃないだろう。私がセリスを妃にしてもお前はそれでいいのか」
「セリスがさあ、それでもいいってんならいいんじゃないの」
 それまでにないような投げやりな言い様に、エドガーは眉をしかめる。
 なぜいつもこいつらはふたりで解決しないのか。なぜいつも私を巻き込む。
「一応聞いてみたんだよ、一緒に来る?って。そしたらさ、わからないだって」
「帝国がなくなってしまって、親代わりのシドも死んで、ティナみたいに帰るところがあるわけでもなくて、自分がなにをしたらいいのかわからないんだってさ」
「俺も結構勇気出して聞いてみたんだよ。その答えがわからないなんて言われてそれ以上どうこう言えなくてさあ」
 自分でも気付かないうちにエドガーは深い溜息をついていた。勝手にしてろ、と油断したら口にしてしまいそうだったがなんとか堪える。
「ならばお前は気が済むまで放浪していろ。セリスはフィガロで預かる」
「ほんと?なら安心できる」
 そうじゃないだろう!と怒鳴りたくなったがこれも堪える。1週間分以上の我慢をすでにしてしまった気分だった。
 ロックは再度酒壜をあおり、力なく立ち上がった。
「じゃあ、くれぐれもよろしく頼むよ」
 そう言って部屋を出て行った翌日、すでにフィガロにロックの姿はなかった。
 言うまでもなくセリスの落胆はひどく、涙を見せまいと気丈にふるまうセリスを見て、エドガーは今回の採択を思いついたのだった。
 思い出したように書簡が届く以外にロックの消息をつかむ手段はなく、気がつけば半年が過ぎようとしている。


 各地で揉めごとが起こる回数がようやく減り始め、エドガーやセリスが鎮圧に向かう回数もそれに伴って減少した。すると今度は増えるのが事務作業である。
 賊の鎮圧にセリスの力が存分に発揮されたのはもちろん、机上の仕事においてもセリスの能力は予想以上のものがあった。すでにセリスの存在に意義を唱えるものはなく、それどころかフィガロの城内において日に日に人望が高まってきていた。
「──あらセリスさま、眼鏡を作られたんですね」
 書類との睨みあいが増えてからというもの、セリスの視力は下降の一途だった。かつての実験が影響を及ぼしているのかもしれないが、今となってはどうしようもない。医者に相談すると眼鏡の使用を薦められたので、仕事時間中は忠告に従うようにしていた。
「あ、ああ。どうしても細かい字が見にくくて。それにしてもさま、はいらないと何度いったらわかってもらえる」
 苦笑混じりにセリスが侍女に問う。侍女は手にしていた盆で口元を隠しながら、くすくすと笑った。
「そんな恐れ多いこと、誰ができますか。眼鏡姿のセリスさまもりりしいと、最近城内で噂が持ちきりですよ。私も拝見できて幸運です」
 一礼して侍女が退室し、あとには湯気を立てる珈琲とセリスと山のような書類が残された。
 エドガーが口に出すことはないが、仕事が山ほどセリスの元にくるのもなにかの配慮があってのことだろう。セリスも直接エドガーに確かめることはしていないが、彼が姿を消してからというもの彼のことを話題に上げないことがすべての答えのような気がしていた。
 確かに、仕事に追われることで余計なことを考える暇はない。それでもふとしたはずみに考えてしまう──今のように。
 伸びをして椅子から立ち上がり、セリスは窓辺に近寄る。すでに太陽は姿を隠して月が夜空に浮かぶ時間だった。窓をあけると入り込む風が心地いい。夜空の月は切り落とした爪のような形をしていた。
 しばらく夜空を見上げていると、開け放した窓の外からふわふわと風に揺らぐセリスの髪を触る手があった。
 ──ああ、ついに私は彼の手を幻で見るようになってしまった。
 わからない、と答えて以来何度その答えを後悔したことだろう。悔やんでも仕方ないとわかっていながら涙を流した回数は数知れない。またその回数を増やしてしまった。
「泣くなってば」
 ついに声まで。幻の手は優しく頬を伝う涙を拭う。
「──ロック?」
 幻なんかではなかった。あの日姿を消した彼が、今窓の外にいる。エドガーがセリスの執務室を塔の1階に用意してくれたことを今日ほど感謝することもないだろう。
 セリスの問いに、ロックははにかんだように笑う。
「ただいま」
 ああ。彼が帰ってきた。
 無意識のうちに笑みが広がっていた。涙を流しながらセリスは恋人に微笑みかける。
「おかえりなさい」



 
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つつむ 隠す 踏みにじる

 
 新設された魔導研究所の奥に、個人的な空間を用意した。ドームにつつまれた、私専用の庭園を。もともと庭いじりを趣味とする性格でもないのだが、ふと土を触りたい気分になってのことだった。
 普段人外のものにどっぷりと浸かりきっているその反動だったのかもしれない。
 野菜を植えても食べられないので、ひとまずは花を植えようと思っていた。
 かつての旧魔導研究所への道を塞ごうと無意識に考えていたわけでもないのだが、外気から守るためのドームを庭園にかぶせてしまうと自然と塞ぐような構造になってしまっていた。
 今まで庭いじりをしたこともなかったのだが、始めてみるとこれがなかなかおもしろい。いつしか研究の合間をぬって足繁く庭園に通うようになっていた。
「──実験体の情操教育でも始めたの?」
 嘲笑するかのような声に、私はしゃがんだまま振り向く。声でわかってはいたが、やはりそこにいたのはケフカだった。彼は数歩近寄り、今私が手入れしている花壇の前で立ち止まった。
「人工物に土を触らせたって、ただの自己満足に過ぎないと思うけどねぇ。おや、今日はあの小娘は一緒じゃないみたいですね」
「そんなつもりは毛頭ないが……お前も時間があるなら一緒にやってみるといい。なかなか庭いじりもおもしろいもんじゃよ」
 彼女の話題には触れず、私はケフカに笑いかける。この苗はうれしいほど成長が早く、一部ではもうつぼみもつけ始めていた。
 さて葉の様子でも見ようかと、手をのばした矢先のことだった。成長の早さがまるで彼女のようで、特に手塩を掛けていたその苗はケフカの足によって無残に踏みにじられてしまった。
「帝国一の博士が、長閑に土いじりですか。莫迦莫迦しい。そんな暇があるなら他にすることがあるでしょうが」
 吐き捨てるかのように言い捨て、ケフカは外套を翻した。情けないことに瞬く間のできごとで反応もできず、ただ彼が去る姿を見送ることしかできなかった。
 彼は扉の前で思いついたように立ち止まり、振り返る。その顔には狂気をはらんだような笑顔が浮かんでいた。
「そうだ、博士の自己満足よりもいい案を思いついたよ。魔法の練習場にするといい。炎で焼き尽くすか、氷に閉じ込めてしまうか。なんなら僕の玩具と競わせてもいい。──まあ、紛いものが本物にかなうはずもないけどね。それなら喜んで協力しましょうとも」
 なにが面白いのか、高らかに笑いながらケフカは庭園から姿を消した。あとには呆然とした私と踏みにじられた苗だけが残された。
 私はそのかわいそうな苗に手を伸ばす。まるで彼女の行く末を暗示しているかのようで、なんとも言いようのない虚無感に襲われて飲みこまれてしまいそうだった。
 研究所だけではいけない。
 帝国だけでもいけない。
 もっともっと、広い世界を彼女に見せなくては。踏みにじられてもくじけない強い芯を持つ人間にならなくては。魔導士としての重責に潰されないように、将軍としての葛藤に負けないように、なによりも彼を始めとする他人に踏みつぶされてしまわないように。
 そのために彼女にしてやれることを精一杯してやらなければ。
 私は立ち上がって裾を払った。まずは、この苗の支柱になりそうな棒を探さなければならない。もう一度しっかり自分自身で立つ手助けをしてやろう。
 帝国に属するものとして、行った実験に罪悪感や後悔を抱いてはならない。そう言い聞かせながら、私は支柱を探すためにひとまず庭園を後にした。


 後日、その苗は立派に成長を遂げて美しい白い花をつけるようになった。
 私はその苗に彼女の名前をつけ、その年の誕生日に彼女へと贈ったのだった。